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1.指揮法のページを書くにあたって
指揮法、というとなんだかあってないようなもの、に思えるかも知れません。僕も指揮法を習うまではそうでした。齋藤秀雄の〝指揮法教程〟(1)(以降「指揮法教程(旧)」と書く)を読んだこともありましたが全く実感がわかないわけです。(大体漢字が難しい。昔の本だから仕方ないけど。『指揮棒を撓る(しなる)ように・・・』なんて読めます?)だから、良くこのオレンジ色の本を読んで『指揮法を独学でマスターし云々』などと自分の経歴を語る人もいますが、それは嘘だと思うわけです。それは自分がこれまで短い間ではあるけれども、実際に指揮法教程(旧)に則して指導を受けてきて、『指揮法』なるものが読んだだけで分かるようなものではないとつくづく思ったからです。なぜなら指揮は運動であって、またこの運動は当然のことながら音楽と密接に関係しているからです。サッカーのルールは文字で伝えられますが、正確にボールを捕らえてシュートする技術や相手をかわしてドリブルする技術は文字では絶対に伝えられません。同様に指揮も運動である以上は、その運動を分析して文字にしたって分からないのが当然で、サッカーで言うグラウンド、指揮なら実際に音楽がナマで進行している現場でなければ生きた技術は身につかないと思うのです。
さて、では実際『指揮法のレッスン』とはなにをやるのだ?ということをつれづれ書いていくことにしましょう。現在、僕が通っているのは東京池袋近郊のヤマハ音楽教室東長崎センター内で行われている〝村方千之指揮法教室〟です。それまで指揮というものは非常に抽象的な概念であり、よって指揮法についての記述も指揮の運動に関することよりも、楽曲の分析などに多くを割かれていました。これに対して、指揮の純粋な運動を体系化できないかと考えていた齋藤秀雄は当時来日していた世界的名指揮者、ローゼンストックの整った指揮を目の当たりにし、『指揮にもやはり〝メソード〟というものが存在する』ことを確信し、世界ではじめて、運動としての『指揮法』の本格的な研究に乗り出したわけです。
村方先生は、もう何十年も指揮法教室を主宰していました、はっきり言って僕なんかがこの指揮法教室についてかくのも畏れ多いですし、またプロアマ問わず指揮者、トレーナーとして活躍しているような大先輩方もいますので変なことは書けないわけですが、ただひとつ言えるのは、この教室で学べるバトンテクニックには、なぜそうしなければならないか、という理由がはっきり存在していて、さらにその理由の背後には非常に音楽的な裏付けがあるのです。指揮棒の持ち方、さらには指揮棒の選び方まで。
というわけで、これからできれば写真付で、僕が初歩の初歩ではあるけれども、指揮を習い始めてからこれまで学んだことをまとめていければと思っています。
2.指揮棒とその持ち方
まず指揮をするのになくてはならないのが指揮棒です。でも実際には指揮棒を使わなくても充分に指揮はできます。現に僕も最初のうちは指揮棒を効果的に使いこなすことができず、棒なしで指揮をしていました。しかし、本来は指揮棒を持って指揮をすることにより、自分の腕の動きを、より明確にすることができるので、奏者に明確に指揮者の意図を伝えることができるものです。また、指揮を習得しようとする自分自身にとっても、いったい自分がどう振っているのか、どう振ればよいのかについて、自覚しやすくすることができます。指揮棒というものは、確かに正しく使えば持たない時より、より明確に意志を奏者に伝えることができますが、まだ未熟な指揮のテクニックの時には逆に腕の動きが棒に効率よく伝わらず、奏者にとって棒を見るより腕を見た方が良い、などという本末転倒な事になってしまいます。
最終的には〝棒が物を言う〟という状態が理想的ですが、指揮することにまだなれないうちは、棒にこだわらず、奏者と自分にとって一番コミュニケーションをとりやすい形を捜せば良いと思います。ただし、指揮の運動は棒を持つ持たないによって変わるものではないことが原則です。指揮棒を持たないからということで自己流に振ればそれはそれでまた奏者と指揮者とのコミュニケーションを阻害しかねないからです。そして、いずれは棒を使いこなせるようになることこそが、指揮法の学習者の目的、目標なんだと自覚することが大切だと思います。
指揮棒にも色々種類があるのでどれが良いのか分からないかも知れません。レッスンで指定されている指揮棒はムラマツのK15(生地塗)かK17(白塗)です。木製で親指大のコルクがついています。このコルクの部分 (1) は正しい指揮棒の持ち方にかなり影響するため、コルクが真ん丸いもの、やたらと長いもの、またコルク以外のもっと重い材質でできていたりするものは良くないようです。またカーボングラファイトのものは折れた時や人に当たった時に危険なので(怒り狂ったトスカニーニがヴァイオリニストの手を指揮棒で刺してしまった逸話がありましたが・・・)木の方が良いかと思われます。このムラマツの指揮棒はシャフトの部分に軽くテーパーがついていますので、根元付近では程よい太さがあります。これが持ったときの安定感にもつながりますので、信頼できる指揮棒です。ただし、アマチュアの楽団などでアンサンブルを合わせるために指揮棒で譜面台を叩くような場合には不向きです。すぐ折れてしまいますので・・・。
指揮棒は柄の部分 (2) を人差指の第一関節に添えて、上から親指で軽く押さえて図Ⅰのように持ちます。これだけだと不安定なので他の指を軽く添える(握りすぎないように)ようにする。注意すべきは親指、親指に力が入って外側に反ってはいけません。これは弦楽器の弓の持ち方と同じことで、親指に力が入って反った状態になってしまっては指揮棒が自由に動かないからです。親指の腹で持つのでなく、先で持つ、と覚えておいてください。
構えは腕を90度に曲げて肘をお腹にくっつけるようにします。この時、若干肘は内側に入れます(わき腹に軽く触れるような感じです)。そして剣道のように左足と左肩を引くように構えます。指揮は体の右側だけで振るものではないからです。右手で振りながらも、常に正面から見て体の中央で振るようにするためには、身体の右側を突き出すように立つと同時に、脇を閉めて、腕ができるだけ体の中心に来るように内側に入れることが大切です。時折、左足が右足よりも前に出てしまっている指揮者も見かけますが、そういうポーズで美しく振ることはまず不可能です。さらに欲を言えば、重心を若干後ろに引いた左足にかけて背筋を伸ばすのが望ましいです。前のめりになってしまうとフォルテの表現がまったく迫力無きものになってしまうからです。この姿勢、普段日常ではあんまりしないポーズなので最初はちょっと違和感を覚えるはずです。
すると、棒が前腕の骨から親指を通して一直線に伸びるはず。これが腕と棒が直結された良い形です。ためしに他のポーズをしてみたらその差が分かるはずです。例えば棒を斜めに持ってみると・・・腕からオーラが棒の先までいかない。棒と腕との接続部分で止まってしまうと思いませんか?腕と棒が直結し一体となって初めて棒が物をいうことができるのです。この姿勢が自然に取れるように、ガラスや鏡に自分の姿を映して確認してみてください。その際、正面を映すだけでなく、自分の左側に鏡・ガラスが来るようにして映してみて、持ち方や肘の角度をチェックするとよいでしょう。特に肘が鈍角に曲がることの無いようにします。これはこの先の指揮法の練習の上でぜひとも必要な確認作業です。変な癖がつかないように、何か変だなと思ったら、必ず基本に戻って確認することを忘れないようにしているうちに、気にするまでも無くきれいに構える事ができるようになることでしょう。
ここまでは、叩き、しゃくいのときの持ち方で、平均運動では指揮棒を横にして図Ⅱのように持ちます。
3.村松商店訪問記【レッスン後記①】
指揮棒のメーカーといえばピックボーイとムラマツ、後は和田楽器なるものがありますが、大体国内どこの楽器屋さんにいっても置いてあるのは前二者の製品だと思います。ピックボーイはカーボングラファイト製のものが主流で、ムラマツの指揮棒は楓の木からできています。ピックボーイの方が全体的に高めの値段です。でも指揮法をならってみると、カーボングラファイトの細くてしなる指揮棒は使い勝手が悪いようです。自分も実際ムラマツ製のものを使っています。確かに木製ですので耐久性はないのかも知れませんが、でも下手に折れにくいのも時として危険ですしね(指揮者岩城宏之が何かの本で「カーボン製のものは刺さったときそのまま突き通してしまうから危険、木製なら力が掛かれば折れるので大丈夫」などと書いていました)。
さて、このたびはそんな数少ない指揮棒メーカーである村松商店に行ってきました。自分も最初勘違いしていたのですが、フルート製造で有名な村松楽器(株)とは全く違う会社ですのでご注意を。行ってみて驚いたのなんのって、商店の影も形もない。普通にお店の形態をしていると思ったら大間違いで、3階建て倉庫風の建物がその社屋でありました。一階部分はガレージか何かのようでシャッターが閉められていますし、会社の存在が確認できるものは何もありません。玄関脇のポストに消えそうな字で「村松」とあったので思い切ってインターホンを押したところ、人の良い感じのおじさんが出てきました。
おじさんが言うには、ここでは販売をしていないとのこと。完全な卸(おろし)のようです。でもお願いしてオーダーメイドの指揮棒を作ってもらいました。中に入れ、と通された2階の部屋は普通の台所のようなところで、ただしおびただしい数の段ボール箱が置かれていました。その中には様々な種類のコルクや棒がはいっていました。そこに転がっていた手ごろな棒とコルクを選んで、棒を任意の長さにカットし、よさそうなコルクと接合してオリジナルの指揮棒はあっという間に完成しました。オーダーメイドには違いないですけどまったく簡単なものです。
さらに話を聞くと、埼玉県川口市にこの棒だけを作る職人がいるそうです。何本作っても同じ長さの、しかも同じ形の(指揮棒は手元に来るにしたがって太くなっています。つまりその太さの変化具合が同じ)棒を作るには10年は掛かるとか。しかも1本100円というような世界だそうです。こんなところにも職人の技が生きているんですね。
また、近頃大人気の老巨匠ギュンター・ヴァント指揮のCDにプレゼントとしてつけていた指揮棒もその人が作ったものだそうで、それも見せてもらいました。なんでも、ヴァント氏自身が使っている指揮棒は見たことがないが、テレビで見る限りこんな感じだろうってんで作ったらしい。そんなんで良いのか?
というようなわけで、自分に合った指揮棒がほしい!という方は一度いってみると面白いかも知れません。ただ完全な卸ですので、僕が指揮棒を作ってもらったのはかなり特殊な例だと思います。でも電話ファックスでオーダーの注文は受け付けているようなので、ここに連絡先を載せておきます(HPのことを話したら、宣伝しといてくれと言われたので)。
村松商店(指揮棒・ドラムスティック製造・販売)
〒116-0011 東京都荒川区西尾久7-43-13
(都電荒川線荒川車庫駅前すぐ・JR東北本線尾久駅徒歩7分)
tel 03-3893-8826 fax 03-3893-8850
4.指揮の運動の大別
♪間接運動
拍を示す点の前に、その点を予知させるための予備の運動、つまり点前運動があるものを間接運動と呼びます。間接運動には、それぞれに「叩き」「平均運動」「しゃくい」と呼ばれる指揮の運動の基本が入ります。このそれぞれの運動のかもし出す表情を知ることと、また正確にそれぞれの運動を身に付けることが、誰が見ても分かりやすい指揮を振る最も重要なポイントになると思います。
それぞれの運動を組み合わせて・・・たとえば1拍目を叩きで振って、2拍目をしゃくいで・・・というように使い分けるセンスは、何度か実際に曲を振らないとつかめないので、齋藤秀雄の指揮法教程(旧)では課題曲として挙げられた8つの楽曲のすべての拍についてどの運動を用いるべきか解説しています。初心者でこの本をめくったときこの後半の部分は読み飛ばすことがほとんどだと思いますが、この教程の素晴らしいところはその解説と指摘の綿密さにあるといっても過言ではないので、ぜひ楽譜とつき合わせて読んでみてください。
①叩き
物が自然落下して底面にあたり反発してまた元に戻る、とういう動きを腕を用いて自然に表現しようとする運動です。音をどこで出したらよいか、ということを指示する上では最も明快な運動なので、とりあえずテンポどおりに合奏しよう、というだけならばこの運動だけで可能です。ただし間接運動の3つの中では最も難しく奥が深いテクニックです。叩き○年、みたいな言い方がされるほどですが、「理想的な叩き」がどのようなものかを知っているだけでも知らないよりは自分の指揮に対する反省の目がある分上達が早くなるのではないかと思います。
②平均運動
叩きの対極にある運動です。点をはっきりと出さない、しかしゆったりとした加速減速の中に指揮者の意図がはっきりと顕れ出ている。そういった運動です。こちらはコツをつかめば割とすぐサマになる運動です。
③しゃくい
平均運動と叩きの丁度中間に当たります。おそらく一番使用する頻度が高くなる動きです。またそのやりかたによってさまざまなニュアンスを引き出すことができます。先入法の練習にも登場します。
間接運動は「叩き」(硬)←→「しゃくい」←→(軟)「平均運動」という関係です。ですから「叩きに近いしゃくい」や「平均運動に近いしゃくい」ももちろんあります。叩きからしゃくい、しゃくいから平均運動へとスムーズに移行できるようになることが、指揮の表現の幅を広げることにつながります。
♪直接運動
間接運動に対して点前の予備運動を行わずに、点(拍)から直接に運動が起きるものを直接運動と呼びます。3つの間接運動を補完し、楽曲中の一部分の特殊な表現に使うのがこの直接運動です。直接運動は使いすぎると煩瑣(はんさ)な印象を与えるので、どこで使うのかを指揮者が判断して使うことが求められます。直接運動は「瞬間運動」「先入法」「跳ね上げ」「引掛け」の4つが主なものです。
5.間接運動①・叩き
叩き、というのは指揮の動作の基本です。文字通り、物を叩くような運動なのですが力いっぱいぶっ叩くという感じではありません。ごく自然な物体の落下と反発を腕で再現しようとしたもの、と考えていただければ良いと思います。そういうわけで、叩きは「落下」と「跳ね上げ」という2つの運動の種類に分けて考えることができます。大切なのは「落下と跳ね上げの二つがバランスよく備わってこそ、叩きなのだ」ということです。僕が見る限り巷(ちまた)の指揮者の9割は正しい叩きができていません。そしてそういった指揮者が「これが叩きですよ」といって教えているものが「跳ね上げに偏った叩き」であることが多いように思います。
さて、実際に棒を持って叩きを練習して見ましょう。自分の指揮にあわせて誰かにピアノを弾いてもらうのがもっとも効果的ですが、素振りでも仕方ないでしょう。最初はとにかくゆっくりやってみることです。慣れない動きをするわけですから、無理して続けると身体を痛めますから・・・。
既に解説した基本姿勢(下図右)から腕を上方へ振り上げます。ここで肘を伸ばして腕を前方に傾けるのがポイントです。何故前方なのでしょう?実は頭上に振り上げてしまうと奏者からは棒が同一線上を腕が上下しているようには見えないのです。下図右 (1) を見てください。基本位置として「2.」で解説した姿勢のときの手の位置のちょうど真上に手を持ってこれば、同一線上を手が上下するように見えるはずです。従って、一見肘を曲げたまま手を上げた方がきれいに上下しているように見えそうなものなのですが、それは振る側の「錯覚」なのです。こういった「自分で思う見え方と奏者からの見え方のズレ」は指揮をする上で沢山あります。指揮法を身に付けると言うことはこのズレを認識した上で、奏者にとって演奏しやすく、かつ自分が奏者に指示を出しやすいやり方を追求していくことです。これはその典型と言えます。
この腕の上げ下げは、「肘を折りたたむ/伸ばす」という伸縮運動だと思ってください。ちょうど自分の目の前にぶら下がっているブラインドコードを引き下ろすような感じ、と言えば分かりやすいでしょうか。
スナッピングについても押さえておかなければりません。腕を上げたとき、自然にその反動で指揮棒が「立つ」ようにするのです。指揮棒が立ったとき、棒と手の角度は必ず直角か鋭角になるようにしてください。鈍角だと文字通り見た目の印象が「鈍く」なります。また指の形にも注意です。このときの指の形は次のページで解説する〝平均運動〟のところの図と同じ持ち方がタテになっただけですが、どうしても親指を反らしてしまう人が多いのでこれも、自分の左側に鏡・ガラスが来るようにしてよくチェックすべきでしょう。そして肘から下すようにして基本姿勢に戻します。
腕の動きだけでなく棒の自然な動きを利用して、より打点を明確にするのがねらいです。棒を立てたときの持ち方は親指以外の4本の指の第一関節にコルクがあたるようにして親指を軽く添えればOKです。その際、決して親指の腹で棒を押さえつけないこと。親指の先端で軽く当てるだけにしないと、棒が自由に動きません(持ち方と姿勢ははいつまでたっても大事です。ですから常にチェックすることです)。
フォームを一通り確認したうえで、今度は解説したすべての動作を「落下」「跳ね上げ」の一連の流れの中に乗せるだけです。よくある失敗が「落下」の速度よりも「跳ね上げ」の速度が速くなることです。これをやってしまうと冒頭で書いた「跳ね上げに偏った叩き」になります。跳ね上げが強調された指揮ではテンポが安定せず間合いも窮屈な音楽になってしまいがちです。「物が跳ね上がるのは落ちてこそ」ということを忘れないことが大切です。物体が落下し反発する、自然のことですから、往復の加速減速のかかりかたが揃うように気をつけてください。「跳ね上げ」で故意にスピードを上げてしまうのを防ぐ方法は、なによりも腕の重みを利用してしっかり「ポン!」と叩くことです。しっかり叩けばそのぶんだけ自然に腕が脱力し、故意に腕を上げようと思わなくても自然に上がっていくものです。これをまとめると下のようになります。
■上方位置→落下
- 大体目の高さよりちょっと上に手を持ってくる
- まっすぐ前を向いた状態で視界に入る位置に手があること
- 肘は伸びる
- 腕の力が抜け脱力しきっている状態(運動の中では速度はゼロになるので、瞬間的に止まったように見える)
- 棒は立てている状態になる
- 上の位置から肘をたたみながら降りてくる
- 加速は叩く直前で最大になる
- いよいよ叩くぞ、という最後のところで自然に棒が倒れる
■叩いた位置→跳ね上げ→(上方位置)
- 叩くのは基本位置で
- 肘は鈍角にならない
- 叩いた瞬間、肘の内側の筋肉に力が入り、肘が90度以上に曲がるのを防ぐ
- 叩いた瞬間に身体が前に倒れないように、背筋は常に伸ばし、やや左足よりに重心をかける
- 叩いた衝撃は全身で受け止める(特に膝、腰をやわらかく使って)
- 叩いた後は瞬時に脱力(でないと自然に腕が上がっていかない)
- 腕が上がっていくときは「フワリ」と言う感じ(脱力につられて棒がまた立った状態になる)
- 往復の経路が違わないように(身体の真ん中の線を通るように)
このタテの動きに、左斜めと右斜めの動きを加えたら、3拍子や4拍子ができるようになります。このとき、左側前方には大きく腕を伸ばし、右側はコンパクトに納めるようにして左右のバランスを整えます。目で見て、左に来たときと右に来たときの頂点の位置が同じ高さになるように気をつけながら正面を鏡・ガラスに映して練習してください。大事なのは頂点が自分の正面・右・左どこに来ても、必ず打点は基本位置に戻ってくることです。もっとも曲の中で意図的に叩く場所を変えることもありますが、最初はまず、どう振っても同じ位置(点)に戻ってくることに慣れてください。そういう癖をつけておくと、後で叩く位置を変えたときにも、「はっきりと叩く位置を変えた」ことが奏者により伝わりやすくなります。
6.間接運動②・平均運動
平均運動は「平均」的な動き。つまり棒も水平に持ち、動きもはっきりとした加速減速を持たない穏やかな表現です。平均運動において重要なことは、この「穏やかさ」を常に失わないことです。どうしても最初はいびつになりがちですので、自分がどこで速度が速くなりすぎたり逆に止まってしまったりしているかをよくチェックすることが重要です。
棒の持ち方は「スナッピング」するときの持ち方。つまり「叩き」において腕を上に挙げたときの持ち方を左へ90度寝かせた持ち方です。親指の上に棒が乗っている感じを忘れないでください。他の四本の指は軽く添えます(この持ち方は弦楽器の弓の持ち方と共通するところがあるように思われます)。
基本の構え(2拍子)は手を「招き猫」のようにした状態です。力を抜き肩を落とします。脇は自然に。あまり開きすぎないようにします。この位置から左前方へ水平に手を伸ばしていきます。叩きのときと同じく、腕の伸縮運動という意識を持つと楽にできると思います。左に行ったときの位置ですが、身体からできるだけ離した位置に来るようにします。これも「斜に構えている」がゆえに、左に来たとき、身体に近い位置に持ってくると、自分の右側にいる奏者から見え辛くなるのを避けるためです。
では動かしてみます。左から右へ行くのが1拍目、右から左へが2拍目です。予備拍をとるため、右肩の位置から始動します。平均運動はできるだけ滑らかにすることが重要です。そして奏者に音を出させたいポイントを、常に自分の目の前に置きます。決して右から左、左から右への動き始めで音を出させるのではない、と言うことを理解してください。腕が自分の身体の中心、描いている軌道の真ん中で拍を感じることです。そしてこれができるようになったら、次は右左の折り返しで変に運動を停止して待たないようにに気をつけてみてください。ゆったりと揺れる振り子をイメージしましょう。振り子を観察していれば分かりますが、本当に速度がゼロになるのは一瞬のことですから、故意に動きを止めてしまうと不自然な印象になります(このことは「叩き」の上方位置、あるいは「しゃくい」でも同様の指揮の基本です)。
さらに自然に見せるこつは腕だけでなく身体を使うことです。背骨を軸として骨盤の上にのっかった上体を腕の動きにつれて滑らかに回転させる(ラジオ体操にもある動きですが)と固さが取れます。特に左から右への折り返しのときには、体が腕よりも一瞬速く右へと回転し始めるようにすると滑らかになります(弦楽器を経験している方ならフィンガーボウイングと同じことを身体でやれば良いのだと気付くでしょう)。身体を右回転して右手を巻き取ってくるようなイメージでやるとうまく行くと思います。
2拍子ができたら3拍子、4拍子へと発展させます。3拍子は富士山のような図形を2拍子のときと同じ持ち方、身体の使い方でたどります。図形は厳密に言うと、富士山の裾野の部分左側をちょっと長め、右を少し短めにして左右のバランスを補正します。右に来たときの位置は2拍子のときのような「招き猫」のポーズより右に多少ゆとりを持って構いません。逆にそうしないと窮屈にみえますからね。4拍子では3拍子の富士山の真ん中に縦線を入れて1拍目とします。
7.間接運動③・しゃくい
「しゃくい」とは、物を杓う(ひしゃくで水を汲む)ような動きであることからそう名付けられました。運動の性質としては平均運動と叩きのちょうど中間にあたります。
基本姿勢は、右手の肘の位置が左肩のちょうど前に来るようにもってきます。そしてそこで肘を90度に曲げて右の前腕が顔の左側に垂直に来るようにし、棒は、平均運動のときのもち方で、手の甲を相手側に、手のひらを自分側にして構えます。格好としては、ちょうど自分から見て顔の周りを棒→右手前腕→右手上腕→右肩の順に逆コの字型に囲むようになるはずです。この状態をまず作るのが大変だと思います。立ち方がしっかりしていないと(つまり右半身を前に出し、左半身を後ろに少し引く、という「斜の構え」ですが)右肩が変に突っ張ってしまいますので注意してください。
これが左側の位置として、次は右に来たときです。右手を肩の高さまで上げ、やはり肘を直角に曲げ、棒は横に持ちます。ここでもコの字を作るようにします。この右の位置と先ほどの左の位置を往復することになります。
往復の軌道が大変重要ですのでゆっくりやってみましょう。まず左側の位置に構えて、そこから肘を伸ばします。腕は肩の高さでまっすぐ左前方に伸びるはずです。このとき棒もまっすぐに持ちます。棒をまっすぐに持ったまま右肩を中心にぐるっと半円を描いて右に腕・指揮棒が一直線に伸びた上体へ持ってきます。半円を描くとき、軌道が楕円にならないよう、できるだけ下の方を通るように注意しましょう。右の肩の高さまできたら上腕はそのまま、前腕が肘を中心に直角まで上がります。4分の1円を描く感じです。そしてその動きにつれて棒はまっすぐから横持ちに変化します。
しゃくいは丸い軌道を描きながらも、加速減速の差が最も激しい動作です。特に下を通るとき、トップスピードになることを意識します。同時に奏者に音を出させるのは、このトップスピードに来る所だ、と念じてください。このスピード感を演出するためには逆にその前後の脱力が重要です。脱力してこそ自然な加減速を得ることができるからです。まずは棒を持って行うのが難しければ、棒無しでも構わないので、腕の振り子運動の感覚を早いうちに身に染み込ませるようにお勧めいたします。
8.直接運動
3つの間接運動を補完し、楽曲中の一部分の特殊な表現に使うのがこの直接運動です。直接運動は使いすぎると煩瑣(はんさ)な印象を与えるので、どこで使うのかを指揮者が判断して使うことが求められます。直接運動の代表として4つの運動を挙げておきます。
①瞬間運動
これは硬い表情を出すためのものです。あるいは意識的にテンポを前に行かせないようにするときにも有効です。速い曲を振っているとき、どうも転んでいるなあと感じたらブレーキをかけることができます(でもやりすぎると逆に重たくなります。)指揮棒を基本姿勢で持ったまま、肘で10センチくらい上下させますが、そのとき手首には力を入れないこと。できるだけ脱力していてください。肘の内側の筋肉(叩きをするときに使う部分)をつかって一瞬で10センチ上げる、そして下げる。理想としては動き始めの時に筋肉が緊張して一瞬にして弛緩、そして止まる、という感じです。この運動の際には棒を動かしません。動きが小さいために、次のモーションへ待てずに入ってしまいがちになりますので、しっかり腕が止まったことを味わってから次へ入ってください。
②先入法
裏拍を出す指揮です。「いち、に・・・」を「いち、ト、に、ト・・・」に分けたときの「ト」の時にすでに次の「2」の開始位置に棒をもってくる、という意味で「拍より先に入る」=「先入法」と呼ばれます。1つの拍を表裏二つの拍に分けるという振り方です(下図参照)。
先入の練習ではその表情のやわらかいものから硬いものまで4段階に分けて区別しています。
♪A先入
しゃくいと同じ持ち方、構えで振ります。「1、ト」の「ト」のところで次の拍のスタートの位置に腕が静止しているようにします。静止するときには静かに止まること。また、先入は常に初速が一番大きく、加速はしません。減速していくだけです。静止のとき軽くスナッピングをします。棒の先だけが反動で止まるような動きに見えます。
♪B先入
これはA先入と基本的に同じです。ただし、静止時のスナッピングが指だけでなく肘からの動きになります。よって止まるときの反動で動く距離が長くなります。先入の表情はこの「先入時の反動の深さ」に比例します。
♪C先入
右側の腰の位置に腕を置きます。左側へ向かって急発進して左側の腰の位置に腕を置きます。(予備運動)今度は同じ事を右へ向かって行います。(これが第一拍目)軽いスナッピングを伴います。
♪D先入
身体の軸を中心に腰から上をねじるようにして、左後方と右後方にロケットを打ち出すかのように腕を出します。そして、また元の位置に「ト」のタイミングで戻ります。しっかりとしたスナッピングを伴います。
③跳ね上げ
紙風船を上げるような減速のみの運動です。点前運動がないとも言えます。先入と違って、元の場所に戻ってくるとき、さながらスローモーションのようにゆっくりと腕が降りてきます。ゆっくりと降りてきたと思ったら、いきなり最大の速度で次の動きに入ることが重要です。軽妙な印象を与えます。
④引掛け
運動は跳ね上げと同じですが、ごく僅かな点前の予備運動をつけて音を引き出します。
9.終止法
文字通り「曲の最後」の終わり方を載せておきます。これもいくつかに分けて見てみましょう。曲の最後、というと時々ものすごいモーションをする指揮者がいますがここではあくまで基本的なものだけ紹介します。
①叩き止め
これは叩いた打点で終わるものです。反動なし。ストン、というような感じです。加速して速度最大のときに一挙に速度0になるので、腹筋とひざを中心とした体全体でその衝撃を受け止めるようにしてください。終わったときの姿勢が基本姿勢になっていることにも留意してください。
②反動叩き止め
叩き止めが硬い表情なのに対して、こちらはやわらかい表現になります。たたいた後の余韻を感じましょう。停止する位置が叩いた打点の10センチ上くらいの感覚でやると良いと思います。打点と止まる位置の距離が長いほど表現としてはやわらかくなります。反動の動作中は腕の力を抜いてふわっと浮かす感じにしてください。叩いた後に力が入ったままだと、この動作の意図する「余韻」が出ません
③置き止め
文字通りそのまま終わるものです。終わりの点に向かって加速せず、そのまま、あるいは減速して終わります。平均運動からつながる終わり方の際に用います。
④反動置き止め
しゃくい、または平均運動の点後を極めて小さく上げて直ちに止めます。
⑤その他
終止法によって最後の点を出し終わった後、音がフェルマーターなどで伸びていることが良くあります。その際は左手を開いて握れば切りを合図できます。伸びている間の指示は左手を使ってください。手のひらを上に向ければ「響きを保って」とうニュアンスになります。逆に下に向けて手全体を下にゆっくりと下げればディミヌエンドを表すことができます。伸ばしの音の後ですぐ次のテンポに入るような場面も楽曲の中には出てくると思いますが、そのような時は、左手で音を切ると同時に右手を振り上げると(この際の振り上げは必ず次のテンポで振り上げること)、音の切りと次の入りを同時に、そしてスマートに指示できます。右手の振り上げは大きくなく、棒だけでも指示できます。むしろその方が、伸びている音に不用意なクレシェンドを引き起こすことがないし、何よりシンプルに見えます。
10.拍子感について
音楽には大雑把に言って2拍子と3拍子があります。4拍子と2拍子、または、3拍子と6拍子は厳密に言えば違うものなのですが、(だからこそ指揮の図形の上でも違いが現れてくる)ここではとりあえず拍子の最小単位である2拍子と3拍子のみ取り上げます。
拍子感、というものは拍子がそれ自体の中に持っている個性を表します。たとえばマーチでは「左右左右・・・」と足踏みをしますよね。すると必ず1拍目が強く(重く)なりますし、2拍目は1拍目の反動、あるいは1拍目のあとに続いて出てくる為に弱く(軽く)なります。これが2拍子の拍子感と呼ばれるものです。これに対して3拍子ではワルツのリズム=強・弱・弱 が基本になります。と、ここまでは小中学校の音楽の授業の内容でした。ではそれが指揮においてどう表現されるでしょう。
それは単純なことで、強い(重い)拍は大きく振り、弱い(軽い)拍は小さく振れば良いのです。ですから、図を見て分かるとおり、2拍子の1拍目と2拍目では、1拍目の方が移動している距離も長くなっているのです。同じ時間の中でより長い距離を移動するということは、すなわちそれだけ早いスピードを伴って移動するということでもあるので、この「動きの大きさ」と「動くスピード」に明快な差をつけることによって、どちらがより重要な拍になっているかを一目瞭然に示すことができますし、さらには音楽全体の躍動感を高めることにもなります。
ワルツ打法について
さて、上に描いたようなごくオーソドックスな振り方以外に、俗に「ひとつ振り」と呼ばれるものがあります。これは、たとえば4分の2拍子の速い曲において、一小節に2回往復運動するのがせわしなくみえるので、一つの動きで1小節(2拍分)を表してしまおうというものです。もっとこの事を簡単に言ってしまえば、同じテンポだったときの2分の2拍子と4分の4拍子の違い、とも言えます。(前者はゆったりとした、後者はきびきびとした印象になります。)このような指揮の省略が3拍子で行われた場合を特に「ワルツ打法」と呼びます。次の図を見てください(指揮法教程(旧)より)。
この図は指揮の腕の上下運動を円運動に例えて表したものです。左側の2拍子では出発点が一番スピードが速く、頂上が一番遅く、一瞬止まったようになります。指揮というのはもともとが「モノが自由落下しているように見せる」事を意図していますから、さながら弾むボールのように、この落下点と頂上の間を加速減速して動かすわけです。動かす、というよりも腕の重さでそのまま自由に落下させ、基本位置(=腕が90度の角度になるところ)を地面に見たてて自然にまた反動し空中へとモノを投げ多様に戻っていき頂点に達する、という運動が無意識のうちに勝手に起こっている、という気分です。
ところが、3拍子をこの動きに当てはめると、2拍子と違う点が出てきます。新たにもう一つ拍が加わってくるわけです。そうしますと、パチンコ玉を打ち出していままではそれが戻ってくる間に1拍が入ればよかったものが2拍入れなければならないわけですから、当然打ち出す最初のエネルギーを3割り増しにしないと釣り合いが取れなくなってきます。ゆえに3拍子の1拍目は2拍子の1拍目にたいしてより重くたっぷりと振らなければなりませんから当然動きの図形の大きさもより大きく、スピードも速くなってくるわけです。また、頂上を通り過ぎたところが一番遅いところ、つまり3拍目となります。それゆえに3拍目から1拍目に移るときには、2拍子の2拍目から1拍目への間よりも短い間に急激な加速が必要になります。さらに、3拍子の1拍目は2拍子の1拍目より重くなければ付随して出てくる2拍分を支えることができないので、ただでさえ急激な加速が必要なのです。そのため、この加速時に手の甲が内側を向くようにひねり、さらに1拍目を叩くと同時に元に戻すことで、より拍を強調してみせる技術もあり、これを「捻り(ひねり)叩き」と呼びます。
このことは変拍子の曲を振る場合に非常に役立ちます。村方指揮法教室では、一つ振りをしたときの2拍子と3拍子の違いをマスターするために、バルトークのピアノ曲集「ミクロコスモス第4巻~第6巻」の中から数曲を課題として練習するようになっています。8分の5拍子や8分の7拍子といった変拍子もじつは「2+3」や「2+2+3」といった2拍子と3拍子の組み合わせによって構成されているので、こういう曲もびびらないで2と3さんをしっかり区別して振れば拍子感のよい躍動した音楽になるはずです。その際の注意点としては、この区別をはっきりと明確につけることです。ポイントとしては2拍子にたいして3拍子は図形を大きくとること。そしてとりわけ、それぞれの振りの出発点となる叩きが2の叩きなのか3の叩きなのかを意識して重さを変えていくことが大切です。
自分の描く図形の中にいくつの拍を入れていくのか、によって図形を描く際のスピードや大きさ、位置を使い分けることによってほんとうに奏者を「指揮」できるようになるはずです。ですから、指揮者は楽譜の中からその曲の持っているリズムの個性を見出して、どの拍が重要なのか、そして、その拍と関連を持つ拍(たとえば強い拍のあとに引っ張られてついてくる拍もあれば、強い拍を出すきっかけとなる拍も存在します)はどれなのか、といったことを合奏の前にあらかじめ知っておかなくてはなりません。たとえば同じ4分の4拍子でも
1 2 3 4
|♪♪|♪♪|♪♪|♪♪|~
では一拍のなかに2つの♪を感じて振るために、動きはシンプルに、一番遅いところが裏拍の♪のところに来るようにすれば良いですがこれが3連符4つの組み合わせ(あるいは8分の12拍子)になれば、
1 2 3 4
|♪♪♪|♪♪♪|♪♪♪|♪♪♪|~
1拍の中に3つの♪を抱えなければならない分だけ、各拍は高いエネルギーを必要とします。また、♪♪♪←この最後の3つめが一番遅くなる(一瞬止まる)拍ですので、この拍をきちんと聴いてから次の拍へと動き始めることで、焦りのないゆったりとした指揮をすることができます。どうしてもワルツのリズムは日本人の潜在意識の中にないもののようなので(本当かどうかは分かりませんが)この3拍子の優雅さを決めるポイントである「3拍目を待って次の動作に入る」ということだけでも守れば奏者は自然に指揮についてくるようになります。そして同時に音楽に優雅さ、ゆとりが生まれるでしょう。
11.合奏運営法(私の経験から・・・)
指揮と並んで、いやそれ以上に重要なのが合奏のテクニックです。これは、実際に大人数のオーケストラ、吹奏楽、合唱などの前に立ったとき、ある一定の時間、そこにいる人たちを自分のほうにひきつけておくためのもので、プレゼンテーションの技術に近いものがあります。アマチュアの楽団を指揮する上で、その練習に参加した人々がいかにその練習に出て「よかった」と思えるかは死活問題です。練習前と練習後で結果として同じ物が達成されたとしても、そこへ行くまでの過程を有意義なものにするか、あるいは単なる「目的のための手段」にしてしまうかは指揮者のアプローチの問題にかかっています。それだけでなく、奏者が気持ちよく合奏できるような環境をつくることは、合奏の場において指揮者が率先して配慮すべきことだと思います。奏者の側に悪いストレスを与えないための合奏の方法について、あるいはさらにすすんで、充実した合奏の時間を指揮者と奏者が共有できるような、そのための方法について・・・。個人的な経験からではありますが、まとめておきたいと思います。お役に立てれば幸いです。
①指示出しについて
あまり早口でないほうが良いのは明白なことです。重要な指示(どこからはじめるか、など)ははっきり全体に通る声で。言葉に詰まってしまうのは別にかまいません。奏者はちゃんと待っていてくれます。むしろ、なにか言わなきゃ言わなきゃということで焦るのは逆効果です。何か指示を与えるときには楽団の中に何人かキーパーソンを作っておくと便利ですね。これは特に学生相手の場合ですけれども、ちょっとした冗談が許される人・気軽にいろいろ言い合える人がいれば、彼を名指しで注意しつつ、彼以外の人に注意を促すことができます (1)。
それから合奏中に言わないほうが良い言葉。ついつい使ってしまいがちな言葉ですが僕は好みません。
- 「せーのっ!」(練習番号Dからはじめます・・・といったあとでみんなで音を出すような場合)
これはなにがいけないかというと、「せー」がいけません。「えー」という音は口の中を狭くして出す母音です。管楽器の奏者は息を十分おなかにいれないとふけません。そのときに「えー」という母音は耳にした感じとして、息を吸うという行動の邪魔になります。アインザッツをあわせて「一斉に音をちょうだい!」っと言うような時、僕は「どーぞっ!」ということにしています。「お」の母音がのどを広げる作用を持っているように思うので (2)。今までやった感じとしてはそれが一番奏者にとって自然にブレスがとれるように感じます。 - もう一度おねがいします(同じことを繰り返すとき)
何も言わずにもう一度、というのは徒労感を煽るんでやめましょう。ただし「うーん。僕のイメージとちょっとちがうんだよね。もう一度やってみてくれる?」のように、奏者に「考えさせる」という意図があるのなら良いと思います。とにかく「なにがしたいのか」分からないのに繰り返すのは合奏が迷走する元になるのでこの言葉を使うときは慎重になりましょう。さらに言えば、時々「もう一回だけやりましょう」という人がいますが、そういったらほんとにその一回で終わりにしましょうね(笑)。 - 次までにやってきてください
これは言う相手にもよります。アマチュアでは、とても合奏でどうにもならないような技術的な問題を抱えた奏者が少なからずいます。そういった場合にこの言葉を奏者に対して投げかけるのは酷ではないでしょうか?もちろん明らかな怠慢に対しての注意は必要でしょうけれどもね。合奏で個人の技術的な向上ははっきりいってほとんど見込めません。そもそも合奏って、「次回までにやってどうにかなる」ものではなく、その一回で確実に良くできることのために行われるべきで、指揮者の使命とはそういうことに対してどんどん注意を与えて楽団の一体感を高め、音楽の流れを作り出すことであると思うのです。あ、あと「~しておいてください」という物言いが私は指揮者として発言する場合に最も避けるべきことではないかと思います。指揮者は自分の目的のために楽団の頂点に立って君臨しているのではないはずです。共に音楽を作る、という姿勢であれば「~しておいてください」などという他人事のような言い方はできないのではないでしょうか?もちろん全くつかうな、とは言いません。ただ、ちょっとした語尾のなかにもその指揮者のスタンスが出てしまうことを、指揮者は知っておかなければなりません。
②指揮をしないで聴いてみる
指揮について注意を向けつつ、流れている音楽に耳を澄ますのはやはり慣れとスコアの勉強が必要不可欠です。どちらもなかなかすぐに身につくものではありません。時々指揮をしないで「1と2とどーぞっ」(⇒4拍子のとき僕はこのようにテンポをだして奏者に入ってきてもらいます)と口で言ってそのまま聴いているのもテです。奏者がその音楽をどう感じてひいているのかということ、あるいは技術的な問題でうまくいかないところが浮き彫りになって来るでしょう。たとえばクレッシェンドの頂点が頂点が早すぎる遅すぎる(ディミヌエンドが早すぎる遅すぎる)強拍と弱拍の関係、個々のパート感の音の処理の違い・・・など。自分の指揮に対してどうついてきているかを、指揮のあるとき、ないときで聴き比べるのも良いかも知れません。欲を言えば聴いている間に曲の表情を視線や顔であらわせたら良いかな、と思います。ボーっと前に座っているだけでは奏者は刺激されませんから。
③歌う
歌う指揮者はたくさんいます。時々CDのなかに指揮者の歌がはいってしまっていることもありますね。歌うのは奏者との距離を縮めるという点で有意義なことだとは思いますが、自分の頭のなかにあるCDがくるくる回転していて、それを聴いているだけ。目の前の音楽を聴いていないということにもなるので注意が必要かと思います。奏者を鼓舞する目的での歌の使用は良いと思います。歌ですが子音を積極的に使ってニュアンスを伝えられたら良いと思います。ただ「ア~」ってうたうのではなく「ザ」「タ」「ダ」あたりの子音をつかうと音色のニュアンスが出ます。自分が管楽器出身ということもありますが、歌うときにもタンギングを気にしています。「ラン」というやわらかいタンギングか「タン」というきついタンギングか・・・。さらに自分の言っていることと歌ったことにギャップがあってはいけません。奏者が混乱してしまいますから。よくいるんですよね。「はっきりください、ララララ・・・ってかんじで」とか言う人が。
12.演奏会を開くということ【レッスン後記②】
指揮法とは直接に関係がないのですが、ここでは演奏会を開くことについて僕の思うところを書いてみようと思います。演奏会とは、文字通り演奏する場であります。練習を重ねた成果を発表する場所です。しかし、演奏だけが演奏会ではないはずです。会場の雰囲気、音響、受付の対応、司会、アナウンス、演出・・・そういったことすべてが、演奏会全体の印象を決定付けます。逆に言えば、そういったところでも、演奏会を開く側は、お客さんに対して自分たちの思いを表現出来るのです。しかるに、そういったところで致命的なミスをしている楽団が少なくありません。何の脈絡のない選曲や不慣れな司会、中途半端な休憩時間などは、せっかく聴きに来てくれたお客さんに対して失礼なほどです。身内同士でほめあう馴れ合いの演奏会ならそれでもよかろうと思いますが、そういう演奏会は開くだけムダだと僕は思っています。せっかく大きなホールをそれなりの使用料金払って借りて、チラシを何枚も刷って宣伝をするわけですから、そこで来てくれたお客さんに、絶対に次回も来て貰えるようなセンスある素敵な演奏会をしようと努めなければなりません。それは、アマチュアだろうがプロだろうが、演奏会を催す者としての最低限の礼儀だと思うのです。
プログラムについて考えてみましょう。大学の楽団にありがちなのは、いかにも「人気投票で決めました」といった選曲です。こういうものは、曲同士のつながりがまったくなく、演奏会全体を通して聴いた時の一種の「ストーリー」が何もありません。お遊びに付き合わされる観客は良い迷惑です。それでも演奏がよければまだ救われますが、そういうことは稀です。打楽器は叩きすぎて全体を壊すし、金管楽器はフォルテしか出来ない(ピアノの部分ではとたんに音を外したり雰囲気を壊すようなことをしでかす)。弦楽器は半分が弾けて居ないのではないか、というような散々な演奏会もありがちです。高校の吹奏楽になると、今度は「最近コンクールではやっている曲」が曲の構成を無視したカットでずたずたにされて演奏されたりします。一体なにを伝えたいのか?プログラムだけでうーん、と思ってしまう演奏会もたくさんあります。思うに、演奏がよければ良いんだ、という開き直った考えで演奏しても良い演奏にはならないのではないでしょうか。演奏会全体に、ピシッと一本、筋が通っていて、そういうことが演奏にも演出にも、ひいてはマネジメントにもよい影響を与えると思うのです。この筋が通っているか通っていないかは、たとえばプログラムを開いて、中の曲目紹介などを一読しただけで分かってしまうこともあります。
確かに、そこまでの「筋」を通した演奏会をするのは並大抵なことではありません。準備段階から綿密な打ち合わせが必要でしょうし、「これはふさわしくない」と思ったら、勇気を持って切り捨てる覚悟も必要でしょう。特に選曲に関しては、この曲が「やりたい」「やりたくない」という感情論も入ってきて大変だと思います。そういったすべてのことを秩序立てて解決していく責任の一切は、そのステージを指揮する指揮者にあると僕は考えています。プロではない、いや、逆にアマチュアだからこそ、演奏会をどういうものにしたいのか、という明確な方向性を演奏者全体に示し、安易な妥協を避けて、「どうしてそういうものにしたいか」を説明し続ける義務が、指揮者にはあるはずです。演奏面だけでなく、すべてにおいて指揮者は番人であるべきだ、ということ。これは、なかなか辛いことですが、そういう姿勢を貫くことによって、奏者に演奏会に対するポリシーのようなものが浸透すれば良いなあ、と、思うのです。また、そういうことがどうしてもその楽団で実現できないのならば、指揮者はその楽団から身を引くべきでしょう。
かなり偉そうなことを書きましたが、以上偽らざる僕自身の考えです。「自己満足で良いじゃん」とは言いますが、他者を満足させようと努めなければ、自己満足にも到達しないでしょう。演奏の技術的な問題で、どうしてもアマチュアはハンディを負っています。それは仕方がないこととして、ではその部分を精神的に乗り越えようとしなければ、感動は生まれないでしょう。「感動させてやろう」というような押し付けがましい演奏に陥ってはいけませんが、センスの良い演奏会、配慮が行き届いた演奏会、そういう演奏会を続ければ必ずファンが増えていくはずです。演奏会を開いても来るのは身内ばかりで・・・というのでは、やはり寂しいものです。もっと開かれた、より多くの人と音楽を共有する場としての演奏会が出来たら、それこそ文字通り感激してしまうことでしょう。大事なのは、そのために手を抜いてはいけない、ということ。そして指揮者は演奏以上に演奏会全体の責任者である、ということです。
(2003.3.6-記)
13.我が強敵、モーツァルト【レッスン後記③】
今日でモーツァルトの幻想曲(K.475)のレッスンが2回目でした。前回割とすらすら行ったにもかかわらず、今回はダメ出しされてばかりで、全く進みませんでした。受験のために指揮法のレッスンをしばらくお休みした後の最初の課題がモーツァルトだったというのは、かなりきつかったのかも知れません。ただでさえモーツァルトは難しいのに、今の自分は頭の中がまだちゃんとした指揮モードになっていない感じで、指摘される注意などを頭で理解することすら時間がかかっているような感じです。
まず注意されるのが、図形の大きさ、そして形のいびつさ。3月に大編成の吹奏楽を指揮したこともあって、純粋に自分の指揮の運動について細かく考えるクセが抜けているようです。「モーツァルトは端正に」と何度も何度も言われてしまいます。小さな動きで奏者に歌わせることのできる・・・。そんな理想とは裏腹に、動きが小さくなる→動かす距離が短くなる→その短い距離を緩やかに動くということに対して我慢しきれずに、あせったり、あるいはテンポを一定に保てなくなる……という悪循環で、とても歌わせるどころではありません。自分が感じている曲の流れと、自分の手の動き、手の先につながる棒の軌跡が一致せず、無駄に動いたり、また逆にテンポをただ刻むだけの無表情な指揮になってしまいます。音が少ないのみならず、休符が多い曲だけに、その「音が鳴っていない瞬間」をどう演奏するか、といったことも非常に重要なのですが、それも、頭で理解しながら手が言うことを聞きません。もう一呼吸待ってから次へと入りたいところを、一瞬棒が先に点を出してしまうのです。
「意味なく棒を振り回しているのは指揮ではない」と、最後には静かに、しかししっかりと怒られてしまいました。その部分の伴奏がアルペジオなのか?刻みなのか?そういったことまで考慮して打点の重みを変化させ、打点から打点への移動経路を微妙に長く取ったり短くとったりして調節していくこと。そういう「意識的に、感じた音楽を自分の棒に乗せる」という変換作業を「無意識的に」行えるようになることが、指揮のレッスンを通して得ていくひとつの大きな技術なのではないかと思います。
それはモーツァルトに限りません。自分の熱い思いをただ自分の中で燃焼させているだけでは何も残りません。炎というのは、手で触って形を確かめることができないもの。形の無い熱い炎を、凍てついた氷の中に瞬間冷却して封じ込め、形に残そうとすること。これが指揮者に課せられた最大の難問ではないでしょうか?それは物理的に無理なことでありながら、それに近い状態が現に存在することを、数は少ないけれども僕自身もいくつかの演奏会で経験しています。そこまでの道のりは長く長く長く・・・。まったく音楽というのは深いものです。
今日のレッスン。終わったときにはあまりの悔しさに泣きそうでした。久々に指揮のレッスンに戻ってきてみて、自分の至らなさと先生の圧倒的な見本を前にしては、結局何を今まで習ってきたんだ、という自分への呵責ばかりで耐え切れないのです。また、先生の指揮をじっと見ていても、気付いたことが気付いたそばから自分の中に残ることなく消えていってしまうような感覚で、本当に胸が苦しかった。そればかりでなく、先日の演奏会でこんなに無知で指揮のなんたるかも分からない自分が70人編成の吹奏楽団を振っていたこと。それが怖くなります。
とはいえ、指揮なんてすぐに取得できるようなものではないのです。最初からそうなのですから。今自分がすべきことは、とにかく、謙虚に自分の音楽を振り返り、そこに「本質」があるか、「意味」があるかをチェックしていくことです。ダメなら戻る、大丈夫なら進む・・・。ただ形だけを真似てはいないか?その動きの中に音楽があるか?そのために楽譜からできるだけ多くを読み取ろうとすること。楽譜を読むことに時間をかけること。・・・それをしなければ、どうもこの目の前に立ちはだかる「モーツァルト・幻想曲」を越えることはできなさそうです。もう一度、いろいろな意味で出直さなくては!!
(2003.4.9-記)
14.分割法
分割とは一つの拍を表裏二つに分ける方法です。曲中リタルダンドをはっきりと指示したいときなど用途は幅広いのですが、不用意に使うと煩雑(はんざつ)でかえって分かり難い指揮になってしまいます。
♪A分割
この分割は表拍で停止した後、裏拍を跳ね上げによって表す方法です。裏拍の跳ね上げのスピードが次小節の頭の予備運動も兼ねるため、特にフレーズがリタルダンドしていった先、次の小節がまったく異なったテンポで開始される場合などに用います。図は四分の四拍子において4拍目を分割した場合ですが、A分割はこのようにその小節の最終拍における分割が主な用途といって良いでしょう。とりあえず形を頭に入れて置きましょう。
♪B分割
A分割に対し、B分割は表拍を停止せず、点後の運動も付随します。同じ軌道を二度なぞるような形になります。描く軌道の延長ががA分割より長くなりますので、その分テンポも遅くなりますが、もたもたと描いていては、図の場合四分の四拍子が都合四分の五拍子と化してしまいますので、4拍目はなるべく軌道を短く、スピードも上げて描くようにしてください。また、ゆっくりとした四分の四拍子においては、すべての拍を分割することも珍しくありません。ちょっと複雑になってしまっていますが、このような感じになります(モーツァルト、交響曲第39番の第一楽章冒頭など)。