叩き、というのは指揮の動作の基本です。文字通り、物を叩くような運動なのですが力いっぱいぶっ叩くという感じではありません。ごく自然な物体の落下と反発を腕で再現しようとしたもの、と考えていただければ良いと思います。そういうわけで、叩きは「落下」と「跳ね上げ」という2つの運動の種類に分けて考えることができます。大切なのは「落下と跳ね上げの二つがバランスよく備わってこそ、叩きなのだ」ということです。僕が見る限り巷(ちまた)の指揮者の9割は正しい叩きができていません。そしてそういった指揮者が「これが叩きですよ」といって教えているものが「跳ね上げに偏った叩き」であることが多いように思います。
さて、実際に棒を持って叩きを練習して見ましょう。自分の指揮にあわせて誰かにピアノを弾いてもらうのがもっとも効果的ですが、素振りでも仕方ないでしょう。最初はとにかくゆっくりやってみることです。慣れない動きをするわけですから、無理して続けると身体を痛めますから・・・。
既に解説した基本姿勢(下図右)から腕を上方へ振り上げます。ここで肘を伸ばして腕を前方に傾けるのがポイントです。何故前方なのでしょう?実は頭上に振り上げてしまうと奏者からは棒が同一線上を腕が上下しているようには見えないのです。下図右 (1) を見てください。基本位置として「2.」で解説した姿勢のときの手の位置のちょうど真上に手を持ってこれば、同一線上を手が上下するように見えるはずです。従って、一見肘を曲げたまま手を上げた方がきれいに上下しているように見えそうなものなのですが、それは振る側の「錯覚」なのです。こういった「自分で思う見え方と奏者からの見え方のズレ」は指揮をする上で沢山あります。指揮法を身に付けると言うことはこのズレを認識した上で、奏者にとって演奏しやすく、かつ自分が奏者に指示を出しやすいやり方を追求していくことです。これはその典型と言えます。
この腕の上げ下げは、「肘を折りたたむ/伸ばす」という伸縮運動だと思ってください。ちょうど自分の目の前にぶら下がっているブラインドコードを引き下ろすような感じ、と言えば分かりやすいでしょうか。
スナッピングについても押さえておかなければりません。腕を上げたとき、自然にその反動で指揮棒が「立つ」ようにするのです。指揮棒が立ったとき、棒と手の角度は必ず直角か鋭角になるようにしてください。鈍角だと文字通り見た目の印象が「鈍く」なります。また指の形にも注意です。このときの指の形は次のページで解説する〝平均運動〟のところの図と同じ持ち方がタテになっただけですが、どうしても親指を反らしてしまう人が多いのでこれも、自分の左側に鏡・ガラスが来るようにしてよくチェックすべきでしょう。そして肘から下すようにして基本姿勢に戻します。
腕の動きだけでなく棒の自然な動きを利用して、より打点を明確にするのがねらいです。棒を立てたときの持ち方は親指以外の4本の指の第一関節にコルクがあたるようにして親指を軽く添えればOKです。その際、決して親指の腹で棒を押さえつけないこと。親指の先端で軽く当てるだけにしないと、棒が自由に動きません(持ち方と姿勢ははいつまでたっても大事です。ですから常にチェックすることです)。
フォームを一通り確認したうえで、今度は解説したすべての動作を「落下」「跳ね上げ」の一連の流れの中に乗せるだけです。よくある失敗が「落下」の速度よりも「跳ね上げ」の速度が速くなることです。これをやってしまうと冒頭で書いた「跳ね上げに偏った叩き」になります。跳ね上げが強調された指揮ではテンポが安定せず間合いも窮屈な音楽になってしまいがちです。「物が跳ね上がるのは落ちてこそ」ということを忘れないことが大切です。物体が落下し反発する、自然のことですから、往復の加速減速のかかりかたが揃うように気をつけてください。「跳ね上げ」で故意にスピードを上げてしまうのを防ぐ方法は、なによりも腕の重みを利用してしっかり「ポン!」と叩くことです。しっかり叩けばそのぶんだけ自然に腕が脱力し、故意に腕を上げようと思わなくても自然に上がっていくものです。これをまとめると下のようになります。
■上方位置→落下
- 大体目の高さよりちょっと上に手を持ってくる
- まっすぐ前を向いた状態で視界に入る位置に手があること
- 肘は伸びる
- 腕の力が抜け脱力しきっている状態(運動の中では速度はゼロになるので、瞬間的に止まったように見える)
- 棒は立てている状態になる
- 上の位置から肘をたたみながら降りてくる
- 加速は叩く直前で最大になる
- いよいよ叩くぞ、という最後のところで自然に棒が倒れる
■叩いた位置→跳ね上げ→(上方位置)
- 叩くのは基本位置で
- 肘は鈍角にならない
- 叩いた瞬間、肘の内側の筋肉に力が入り、肘が90度以上に曲がるのを防ぐ
- 叩いた瞬間に身体が前に倒れないように、背筋は常に伸ばし、やや左足よりに重心をかける
- 叩いた衝撃は全身で受け止める(特に膝、腰をやわらかく使って)
- 叩いた後は瞬時に脱力(でないと自然に腕が上がっていかない)
- 腕が上がっていくときは「フワリ」と言う感じ(脱力につられて棒がまた立った状態になる)
- 往復の経路が違わないように(身体の真ん中の線を通るように)
このタテの動きに、左斜めと右斜めの動きを加えたら、3拍子や4拍子ができるようになります。このとき、左側前方には大きく腕を伸ばし、右側はコンパクトに納めるようにして左右のバランスを整えます。目で見て、左に来たときと右に来たときの頂点の位置が同じ高さになるように気をつけながら正面を鏡・ガラスに映して練習してください。大事なのは頂点が自分の正面・右・左どこに来ても、必ず打点は基本位置に戻ってくることです。もっとも曲の中で意図的に叩く場所を変えることもありますが、最初はまず、どう振っても同じ位置(点)に戻ってくることに慣れてください。そういう癖をつけておくと、後で叩く位置を変えたときにも、「はっきりと叩く位置を変えた」ことが奏者により伝わりやすくなります。